カルロス・ゴーンは無罪を証明すべき?

2019年末に発生したカルロス・ゴーン氏のレバノン逃亡事件の一報を受けて、衝撃を受けた人は多いはずです。

カルロス・ゴーン氏の記者会見の受けて、森雅子法務大臣が1月9日深夜に開いた記者会見で「潔白というのならば、司法の場で正々堂々と無罪を証明すべき」とコメントしました。

また日本人のなかには「カルロス・ゴーン氏は後ろめたい気持ちがあるから逃亡したのだろう」と信じている人も多いし、フジテレビの三田友梨佳アナウンサーもMr.サンデー(2020年12月12日)にて「日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう」と発言しています。

もちろん逃亡したことは明らかなので、それ自体は犯罪です。しかしカルロス・ゴーン氏が逃亡したことでもっとも胸をなでおろしているのは、実は検察なのではないか?という意見をいう人もいるのです。

なぜならば『犯罪会計学』のような専門家からすれば、カルロス・ゴーン氏を逮捕するのは『無理筋』だからです。

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あなたはカルロス・ゴーン氏が逃亡した件について、どのような考えをもっていますか?

あえて質問する理由

このような質問をした理由は、「自分のアタマで考える癖」について自覚してほしかったからです。

なぜ?自分のアタマで考える癖について指摘したかったのかというと、自分のアタマで考える癖が「自分にとっての重要なこと」を発見する上で役立つからです。

カルロス・ゴーン氏が逃亡した件についてどう思うか?と質問された時に、ほとんどの人は自分の意見というよりは「他人はどのような主張をしているか?」ということを無意識に思い出そうとするのです。

そして他人の主張を「思い出す」だけなので、当然「なぜ?あなたはそのような考えをしているのですか?」と質問された時に、「だって、みんなそう思っているでしょ?」というような回答しかできなくなってしまうのです。

「他人の主張を無条件に受け入れる」という習慣は危険です。

なぜならば他人の主張を無条件に受け入れる・・・ということを繰り返せば繰り返すほど、自分でも気づかないうちに「自分にとって重要なことを他人にコントロールされるリスク」が上がってしまうからです。

自分にとって重要なことを他人にコントロールされないためには、どうすればいいのでしょうか?

答えはカンタンです。少し立ち止まって勉強すればいいのです。

少し勉強する効果

今回は少し立ち止まって勉強することの効果を、森雅子法務大臣の発言と、三田友梨佳アナウンサーの発言に則して証明しておきたいと思います。

無罪を証明すべき

森法務大臣は「無罪を証明すべき」と発言しました。明らかな失言です。

では「無罪を証明すべき」という発言のどのあたりが失言なのでしょうか?

近代裁判の原則を少し調べてみれば、森法務大臣の発言のどのあたりがマズイのかはすぐにわかります。

検察の仕事は、刑事訴訟法に則って『有罪を証明すること』です。また裁判官の仕事は『検察を裁くこと』であって、被告人には無罪を証明する義務なんてものはないのです。

そもそも「無罪であることを証明する」なんてことは、安倍総理大臣も「悪魔の証明であるから、それはできない」という趣旨の発言を国会でしています。(森友学園の国有地払い下げ問題で国会で追及された安倍総理大臣の発言)

しかしここで新たな疑問が生じるはずです。

なぜ?司法試験にも合格している森雅子法務大臣ほどの人物が、大学生が九九のかけ算を間違えるような初歩的な間違えを犯すのでしょうか?

日本の裁判の実態を調べれば、すぐにその答えがわかるはずです。

ズバリ「日本の裁判は近代裁判の原則をほとんど無視しているから」です。つまりはこういうことです。

日本では検察から起訴された99.5~99.8%の被告人が「有罪」になります。つまり刑事裁判を担当する裁判官からすれば、刑事裁判1,000件のうち無罪判決は数件ほどしかない「超レアケース」なのです。

そして「超レアケース」だからこそ、裁判官が「無罪を証明してくれないと無罪判決なんてだせねーよ。。。」という心境になるのは容易に想像できますし、だからこそ・・・・松本潤さんの主演ドラマ「99.9 刑事専門弁護士」にもリアリティーがでてくるわけです。

日本の司法制度の正しさ

カルロス・ゴーン氏が海外に逃亡したことにより、日本では「容疑者を釈放するなんてけしからん。」という風潮が生まれています。

たしかにこの風潮には一理あります。犯罪者が野放しになるのは、市民感情としては許せないでしょうし、納得いかないでしょう。

しかし今回注意すべきは、カルロス・ゴーン氏の1件は「特捜案件」であり、通常の刑事手続きとは全く異なるということです。どういうことかというと・・・

通常の刑事手続きでは、警察が「捜査」して、検察が「起訴」するかどうかを決める・・・というのが手続きの流れです。捜査する機関(警察)と、起訴する機関(検察)がわかれているので、『起訴ありきの逮捕』を防ぐことができます。

しかし特捜案件では、特捜部が「捜査」も「起訴」も担当します。ですから必然的に「逮捕 = 起訴」という図式が成立するわけです。

さらに刑事事件の有罪率の高さを理解していれば、「逮捕 = 起訴 = 有罪」の流れが、ほぼ確定していることに気づけるはずです。

なにせ特捜部は有罪を生むために証拠すら捏造する組織(例:村木厚子さんの事件)ですから、カルロス・ゴーン氏は無罪であっても有罪にされる可能性は高いのです。

そして他にも大きな問題になっているのが、「刑の先取り」(人質司法)という問題です。

カルロス・ゴーン氏が会見で批判していたとおり、日本の特捜部のやり方は「拷問そのもの」であり、実際に国連の拷問禁止委員会では過去に何度も「日本の刑事司法は中世的である」と非難されています。

なぜ?拷問なのかというと・・・・弁護士を雇うことはできるが弁護士の立ち合いが認められないで取り調べをされるとか、いつまで勾留が続くかわからない状況で自白を強要されるとか、裁判のスケジュールも決まらないまま自由を制限され続ける、といったことが、まさに「刑の先取り」だと批判されているのです。

カルロス・ゴーン氏の気持ちを代弁するならば、「有罪になれば刑を受けるのは理解できるが、有罪判決が出る前からすでに受刑者のように扱われるのは我慢ならない」といったところでしょうか。

しかもカルロス・ゴーン氏は日本人ではなく国際的に活躍するビジネスマンですから、「日本から出国できない」ということによるダメージは日本人よりも大きいことは容易に想像できます。

つまりわたしが言いたかったことは、「カルロス・ゴーン氏の1件は特捜案件なのだから、『日本の司法』という大きな枠組みで考えるのはナンセンス」だということですが、少し考えれば誰にでもわかることです。

最後に

少し立ち止まって考えてみれば、誰でも論理的ではないとわかる「日本の司法の正しさ」をテレビや新聞が強調するのは、、、、

特捜検察のメンツをこれ以上傷つけないようにという配慮と同時に、「規制強化」という検察の利権確保につなげたいからでしょう。(それが彼らのいつものやり方です。)

そしてテレビや新聞の主張をそのまま鵜呑みにする人も、誰かにとって重要なことを達成するために知らずのうちに「感情をコントロールされている」ということを自覚すべきでしょう。